2011年01月23日
強面村獅子君
村獅子君たちの多くはファニーフェイス。
恐い獅子は意外と少ないのですよ。
そんなオモロイ顔で村を魔物から守れるの?って感じで。
コアな当ブログに「とびきり恐い顔の村落シーサー」というリクエストが直にあったので、
実に2ヶ月ぶりくらいに更新しました。
ご覧の通り、ゴジラ真っ青の強面です。
彼がいるのは沖縄戦で最も悲惨な場となったうちの1つ。
「鉄の暴風」をモロに浴びた「真玉橋」。
ここで一体何人の方が亡くなったのでしょうか?
もちろん、この村獅子君も復刻版です。
地形が変わるほどの砲撃を受けた場所ですからね。
真玉橋には「東」と「西」に1対ずつ村獅子君がいるのですが、この子は「イリ」の方です。
Posted by 三ちゃん at
21:34
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2010年11月28日
イケメン人面村獅子くん
知念、久手堅(くでけ)にいる村獅子君はイケメンです。
彼が睨みをきかしている方向には崖。
その下方がえぐれたようになっています。
そこはかつて「鍛冶屋」があった場所。
やはりこの村落シーサーも火事から集落を守る働きをしているわけです。
彼が睨みをきかしている方向には崖。
その下方がえぐれたようになっています。
そこはかつて「鍛冶屋」があった場所。
やはりこの村落シーサーも火事から集落を守る働きをしているわけです。
Posted by 三ちゃん at
17:30
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2010年11月07日
長らくお休みしてましたが、開店します。
開店最初の村獅子君紹介は、めでたく仲良しラブラブペアといきましょう。
豊見城の饒波 (のうは)集落に2人はいます。
昔は二つとも石だった可能性がありますね。
陶器製の集落シーサーは珍しいです。
場所は饒波バス停至近距離です。
豊見城の饒波 (のうは)集落に2人はいます。
昔は二つとも石だった可能性がありますね。
陶器製の集落シーサーは珍しいです。
場所は饒波バス停至近距離です。
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22:24
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2008年11月23日
玉城・當山の村獅子君
前回紹介した當山集落の村落シーサーは他に3体います。
331号線から集落への入口にまずこの人。
独特の顔つき。おかっぱ頭か、おむすび君か。
真上から見るとこんなです。
坂を下り、上りして行くと集落センターがあります。その広場脇にいるのはこの人。
よく見ると体に穴が空いてます。縄などを通して運びやすくしたためか。
さらに道を進むと出会うのが、この人。
民家の塀の上です。蘇鉄との組み合わせがグ〜。
4体の村獅子君、いずれも集落の外側を向いて村を護っています。
331号線から集落への入口にまずこの人。
独特の顔つき。おかっぱ頭か、おむすび君か。
真上から見るとこんなです。
坂を下り、上りして行くと集落センターがあります。その広場脇にいるのはこの人。
よく見ると体に穴が空いてます。縄などを通して運びやすくしたためか。
さらに道を進むと出会うのが、この人。
民家の塀の上です。蘇鉄との組み合わせがグ〜。
4体の村獅子君、いずれも集落の外側を向いて村を護っています。
Posted by 三ちゃん at
19:06
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2008年11月15日
村獅子探すなら冬
村落シーサーめぐりをしていると、すぐに見つけられる場合となかなか出会えない時とがあります。今回紹介するのは玉城・當山集落の村獅子君。
最初に訪ねたのは10月。何度も同じ道を行き来してようやく発見。
2回目は2月。遠くからでも存在を確認できました。
10月と2月撮影。同じ村獅子君です。
最初に訪ねたのは10月。何度も同じ道を行き来してようやく発見。
2回目は2月。遠くからでも存在を確認できました。
10月と2月撮影。同じ村獅子君です。
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17:07
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2008年11月03日
那覇・安次嶺の村獅子君
那覇空港近く、航空隊バス停すぐ後ろの階段を上がって行くと、
という具合に姿を現す村落シーサー。
オレンジと白の市松模様のあの水道タンクの麓と言った方がイメージしやすいかな。
赤嶺緑地にいます。
近づくとこんな姿で、
斜め後ろには拝所があります。
尻尾が長く巻いているのが特徴です。
この村獅子君はゆいレールが鋭角カーブを曲がるとき、ある角度から一瞬だけ見ることができます。
限られた角度から、ほんとにチラッとだけ。
沖縄を訪れるたびにその姿を見ることを楽しみにしている友人がいます。
そんなこととはつゆ知らず彼は今日もたたずんでいるはずです。
という具合に姿を現す村落シーサー。
オレンジと白の市松模様のあの水道タンクの麓と言った方がイメージしやすいかな。
赤嶺緑地にいます。
近づくとこんな姿で、
斜め後ろには拝所があります。
尻尾が長く巻いているのが特徴です。
この村獅子君はゆいレールが鋭角カーブを曲がるとき、ある角度から一瞬だけ見ることができます。
限られた角度から、ほんとにチラッとだけ。
沖縄を訪れるたびにその姿を見ることを楽しみにしている友人がいます。
そんなこととはつゆ知らず彼は今日もたたずんでいるはずです。
Posted by 三ちゃん at
20:03
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2008年10月17日
東風平・東西南の村獅子君
さて、字東風平の村獅子君残り3つをまとめていきます。
同じ地域の村落シーサーは作者が同一なのか似ているケースが多いです。
西の村獅子君。
口には松ぼっくりが……。
お供えも松ぼっくり。子供たちがあげたのかなあ?
東の村獅子君。
やはり一本歯の外人系の顔つきです。
後ろ姿はこんな。尻尾はやや長め。斜め。
そして南の。
住宅街のあ〜んな所にいます。
この子だけ他の子たちとちょっと違います。
歴史民俗資料館の場所はこの辺です。
同じ地域の村落シーサーは作者が同一なのか似ているケースが多いです。
西の村獅子君。
口には松ぼっくりが……。
お供えも松ぼっくり。子供たちがあげたのかなあ?
東の村獅子君。
やはり一本歯の外人系の顔つきです。
後ろ姿はこんな。尻尾はやや長め。斜め。
そして南の。
住宅街のあ〜んな所にいます。
この子だけ他の子たちとちょっと違います。
歴史民俗資料館の場所はこの辺です。
Posted by 三ちゃん at
20:09
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2008年10月09日
東風平・北の村獅子君
東風平の代表的な村落シーサーと言えば最初に紹介した冨盛の大獅子ですが、この地域にはかなり多くの村獅子が存在します。
そして、村獅子マニアにありがたいことに、東風平の歴史民俗資料館に行けば、
「石獅子MAP!!」が貰えます。
字東風平では集落の東西南北に四体の村獅子君が村を守っています。
この「北」の村獅子君の周囲は運動公園や宅地の開発が進み、辛うじて昔からの位置・向きが保たれているようです。古い写真資料では背景が草薮でしたが、今ではこのように見通せます。
一本歯がキュートな村獅子君。好きなタイプです。
真横には住宅が建っていますが、彼はこんな風景を毎日見ているのです。
そして、村獅子マニアにありがたいことに、東風平の歴史民俗資料館に行けば、
「石獅子MAP!!」が貰えます。
字東風平では集落の東西南北に四体の村獅子君が村を守っています。
この「北」の村獅子君の周囲は運動公園や宅地の開発が進み、辛うじて昔からの位置・向きが保たれているようです。古い写真資料では背景が草薮でしたが、今ではこのように見通せます。
一本歯がキュートな村獅子君。好きなタイプです。
真横には住宅が建っていますが、彼はこんな風景を毎日見ているのです。
Posted by 三ちゃん at
21:49
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2008年10月03日
豊見城・保栄茂の村獅子君
「保栄茂」
何と読むか、ご存知ですか?「勢理客」とか「東風平」とかと並んで難訓としてよく挙げられる地名ですね。
正解は「びん」です。
三文字もあるのになぜ「びん」なのか、その謎はさておき、村落シーサーです。
これが、獅子?といういでたちです。フクロウか…おばQに出てくるキャラクターか…そんな感じ。
舗装道路の上に置かれているので元からここにこの向きで設置されたのか、わかりませんが、「石敢當」と一緒に並んでいるのが興味深いところ。こんな可愛らしい顔して、やっぱり集落を魔物から護っているんですね。
横から見るとこんな感じ。豊見城にはユニークな村獅子君がたくさんいます。追々紹介しましょうね。
Posted by 三ちゃん at
19:46
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2008年09月25日
大里南風原の村獅子君
造られたのが古いと言われる村獅シーサーがもう一体。大里村字南風原。「南風原」バス停のすぐ後ろに立っています。
口を思いっきり「イ〜〜〜」した表情がひょうきんです。
この村獅子にも「字南風原石彫魔除獅子」という教育委員会による説明看板があり、
この石彫獅子はかなり古い時代に設置されたと伝えられているが、正確な時代は不明である。〈中略〉向きについては、字の古老によると、部落のフンシ(風水)をみて、西側サン(山)を押し退ける「ナンゲーシ」(魔除)として据えられたといい、旧暦8月15日には部落をあげて祈願している。云々
と書かれています。
ちゃんと前足の間がくり抜いてあります。
季節によって衣装も変わります。
口を思いっきり「イ〜〜〜」した表情がひょうきんです。
この村獅子にも「字南風原石彫魔除獅子」という教育委員会による説明看板があり、
この石彫獅子はかなり古い時代に設置されたと伝えられているが、正確な時代は不明である。〈中略〉向きについては、字の古老によると、部落のフンシ(風水)をみて、西側サン(山)を押し退ける「ナンゲーシ」(魔除)として据えられたといい、旧暦8月15日には部落をあげて祈願している。云々
と書かれています。
ちゃんと前足の間がくり抜いてあります。
季節によって衣装も変わります。
Posted by 三ちゃん at
18:32
│Comments(6)
2008年09月20日
糸満照屋の村獅子君
本島南部に点在する村落シーサーの中で、冨盛の大獅子と並んで製作年代の古い石彫獅子として見られるものが糸満・照屋にあります。県道77号線、照屋入口バス停のすぐそばです。
舗道上の石垣には教育委員会による説明の石文があります。
以下その引用
この石シシは、字照屋のヒーゲーシとして設置されたもので、ヒーザンと云われ人々から恐れられた八重瀬岳をにらみつけられ るように置かれています。旧暦十月の「ニーゲーシの御願」の時には村御願が行われます。
(中略)照屋の獅子は見事とされ、美術的価値が高いと言われて います。……
顔はしっかり彫り込まれていますが、つぶれたゴジラの顔みたいで、にらみつけるというより、ちょっとヒョウキンな感じ。
でも、後ろ髪?の巻き毛もしっかり彫られています。ただ、顔は一生懸命彫り込んだけど、なんだか、足はテーゲーになっているみたい。疲れちゃったのかな(笑)。
写真左側が県道。道路からだと背中が見えます。あの石なんだろう?というような後ろ姿。
残っている村落シーサーの多くは、元々あった位置から動かされ、向きも変えられてるようです。この村獅子君も6年ほど前に道路拡張のために移設されたそうですが、舗道上に元の位置が示されています。
舗道上の石垣には教育委員会による説明の石文があります。
以下その引用
この石シシは、字照屋のヒーゲーシとして設置されたもので、ヒーザンと云われ人々から恐れられた八重瀬岳をにらみつけられ るように置かれています。旧暦十月の「ニーゲーシの御願」の時には村御願が行われます。
(中略)照屋の獅子は見事とされ、美術的価値が高いと言われて います。……
顔はしっかり彫り込まれていますが、つぶれたゴジラの顔みたいで、にらみつけるというより、ちょっとヒョウキンな感じ。
でも、後ろ髪?の巻き毛もしっかり彫られています。ただ、顔は一生懸命彫り込んだけど、なんだか、足はテーゲーになっているみたい。疲れちゃったのかな(笑)。
写真左側が県道。道路からだと背中が見えます。あの石なんだろう?というような後ろ姿。
残っている村落シーサーの多くは、元々あった位置から動かされ、向きも変えられてるようです。この村獅子君も6年ほど前に道路拡張のために移設されたそうですが、舗道上に元の位置が示されています。
Posted by 三ちゃん at
16:17
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2008年09月14日
冨盛石彫大獅子
紹介第1号の東風平冨盛の村落シーサーは「石彫大獅子」としてガイドブックにも載っており、ネットで検索してもヒット数が多いです。
村落獅子の中で最も歴史が古く、最も精巧に彫り込まれたシーサーとして知る人ぞ知るという存在なのです。
どういう理由で造られたのか、他の村獅子君のほとんどが不明ですが、彼の場合はわかっています。隣にある石碑には
この獅子は火除け(火返し)として、尚貞王二十一年(一六八九年)に設置されたもので、フィーザン(火山)といわれる八重瀬嶽に向かって蹲踞(そんきょ)している。この獅子が設置される以前は、富盛村では火災が多く、村人はことごとく困ったたということが「球陽」尚貞二十一年の頃にくわしく記されている。今日でも、旧暦十月一日(竃のお願い)<防火儀礼>の行事にこの獅子を拝んでいる。戦前までは旧暦九月九日(タントゥイ棒)のときに、村の青年たちはこのジリグスクに集まり棒踊りを演じた。
沖縄各地にある、村落祭祀上の目的でつくられた獅子のなかでも、最大最古のもので、民俗資料として貴重なものである。
とあります。「球陽」というのは琉球国の正史ですね。一六八九年と言えば、芭蕉が「奥の細道」の旅に出た年です。おそらくこの獅子は一六七七年に造られた首里の「御茶屋御殿石造獅子」をモデルとしたのでしょう。そして彼自身この後次々に造られる村落シーサーのモデルになったのではないでしょうか。
この冨盛の獅子に私は4回ほど会いに行きましたが、その度に違った表情に見えました。
この獅子は雄ですね。よく見るとわかります。
表情は角度、その日の天候、見るものの心境によっても変わって見えます。
立派なしっぽ。
今では鬱蒼とした木々に遮られて彼の位置から八重瀬岳は見えません。
2008年09月11日
衝撃の出会い
村落シーサーを訪ねて沖縄を歩き倒す。
きっかけは1枚の写真でした。
初めてこの写真を見たのが沖縄戦写真集だったか、平和祈念堂のパネルだったか忘れましたが、この写真は強烈なインパクトを私に与えました。この島で確かに戦争が行われたんだと。シーサーと近くにいる米兵の組合わせに大きな違和感を感じたのでした。
実際にこの「大石獅子」に会いに行ったのは何回目かの訪沖最終日でした。仲間3人での沖縄旅でしたが、飛行機搭乗時間までそれぞれ自由行動に、ということになりました。そこで一人バスに乗って東風平町富盛まで出かけたのです。
バスを降りると黒雲が空を覆い、強い風がウージをザワつかせていました。息を切らせて急坂を上っていくと、生い茂る樹木により薄暗い広場に彼が立っていました。その時感じた肌が粟立つような感覚、厳かな雰囲気は今でも蘇ってきます。
彼には、数百年の間、そこを動かず、じっと黙って、起きたことを見続けて来たオーラがありました。からだには何発もの弾痕が残っていました(鉄の暴風にさらされながら木っ端みじんにならなかったのは幸いだと思います)。
帰りのバスの時間の関係でわずか5分でとんぼ返り。ほんの少しでしたが、それは濃密な時間でした。
それ以来、色々な文献やネットを参考に各地の村落獅子に会いに行くようになりました。長い時間ただひたすらそこにいて、村を守り続けているシーサーたちにたまらない魅力を感じたからです。
ちなみにこの石彫大獅子は、1689年に火山(ヒーザン)八重瀬岳から村を守る(火返し=ヒーゲーシ)のために作られ安置されたそうです。村落獅子の最古のものといわれています。
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